
優しさって何だろう
誰かを思いやることかな
誰かを愛することかな
あげる人の言う優しさはホントに『優しさ』?
受け手によっては偽善と言う名の
偽物になるそれはホントに『優しさ』?
優しさには正しいも間違いも
善も悪もきっとない
どれも正解で どれも間違い
ただそこにあるのは
受け手が感じた気持ちだけ
もしかしたら『優しさ』なんて
どこにも存在しないのかもしれない
受け手が優しさと受け取って
初めて『優しさ』になるのかもしれない
そして『優しさ』を与えられ感じて
初めて人は誰かに優しさをわかけられるのかもしれない
偽物になるかもしれない優しさの中に
本物と名付けて貰える優しさをそっと忍ばせて……
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何となく、優しさについて今思うことを並べてみました。
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どうも、ちょこっと、まだ回復途上にあるっぽい管理人です。
えと、上の詩か随筆だかわからない文章は、単に、恐らく優しさからだろうという行為を、私がたまに偽善と受け止めるのはなんでかなと。
まぁ理由はかなりはっきりしてるんですけどね。
A.威圧的に感じたから。
〜しろ。〜しなさい。〜はダメだ。
自分が正しいと言わんばかりに、自分の考えを押し付けられてぷっつん&反抗。
止めてほしいから行くのに、全否定されて平気でいられるなら、最初からいかねえっての、という具合に。
ついでに、相手の正義に必要以上に圧迫されるとドッカーンとなり、大爆発(笑)
と、まぁ私の場合は、優しさを貰っても怒りになったりするのは、こういう場合のときなんですが、みんなが同じわけじゃないので、つらつら書きながら考えた結果、優しさは受け取った人が、そう名付けて、初めて優しさと言うんじゃないかなと。
自分で自分が与えたものを優しさだと言ったり、自分は優しいなんて自分で言うと、嘘っぽく聞こえるけど、他人がその人を優しいと評したりすれば、ホントっぽく聞こえる……気がするし。
それに、受け手が優しさと取らなかったら、やっぱり嘘になってしまうし。
と、今ある経験やらから考えた結果がこんな感じになりました。
優しさと自己満足の偽善って、紙一重なんでしょうね、きっと。
すべての優しさを『優しさ』と受け止めて生きられたら、そうしたら、きっと幸せなんだろうなぁなんて思ったりもします(笑)
心ってホントに面倒だなぁ……。私、いくつくらい幸せ棄てちゃったんでしょう(苦笑
ま、いいや。
とりあえず、これからガトーショコラを久々に作ってきます。
職場にいる元パティシエさんと何やら、どっちがおいしいか勝負(?)することになり、お題がガトーショコラなのです。
上手く出来たら、次の日記に載せようと思います。
ちなみに下の画像は二度目に途中までうまくいったシフォンケーキの画像です。
このあと、結局、一度目同様にしぼみ、弟に『シフォンケーキならぬしぼんだケーキだね』と言われました(笑)
ちょっとカチンときて、んなこというなら、お前が見本作ってみやがれと言ったら、辛口な未来のパティシエくんは『オレ、素人ですから』と返しやがりました(笑顔)
全く……。私だって、ド素人だと言うに……。
そんなやりとりの次の日、職場のみんなのお腹に消えた紅茶のシフォンケーキでした。